おこもりさんも大海の夢を見る

諦めず、焦らず、時に倒れても海を目指して、ほふく前進する引きこもりの雑記ブログ(目標の読書ができたのでタイトル変えました)

タクシーとエスカレーターとエレベーターと

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出かける準備が大変なのだ

おこもりさんである私が病院へ行くには、準備が大変。

お出かけ30分以上前に「頓服」を飲む。パニック発作強迫性障害及び感覚過敏への予防。

夏場は持ち物が大変で、「除菌ウェットティッシュ」「マスク」「音楽」「アイスノン」「冷えたお茶」「ハンド扇風機」必須。

暑いとパニック発作が起きやすい。嗅覚が豚さん並みなので、効果は薄いけどマスクをする。聴覚過敏のために音楽で耳をふさぐ。外でトイレに行ったり、ドアノブなどを触った時には除菌しないと強迫性障害が顔を出す。

そして移動は「タクシー」オンリー。月に1、2度だから車を買うより断然安い。

タクシーに乗るときには、いつも緊張する。冷房が控えめだと息苦しくなる。そして、前の客の残り香がキツい時もある。車内の臭い消しがアダになる事もある。

 

病院についても危険がいっぱい

病院につくと、エスカレーターを使わねばならない。ちょっと面倒臭い。ツレに後ろに立ってもらわねば乗れないのだ。信頼できない人間に背後をとられると、首が硬直するのだ。シマウマ並みに後ろに立たれたくない。

エレベーターにも乗らねばならない。階段で人とすれ違うとき、その人がクリアファイルなどを持っていたら、叫んでしまったり、ひどいと飛び跳ねまくって、のちに倒れる。

だが、エレベーターも油断は禁物。空いているエレベーターが来るまでは乗れない。乗っても、後からどんな人が乗ってくるかわからないので、隅っこに寄ってツレにガードしてもらう。

病院には当然病人がいて、その病気特有の臭いがすることがよくあるので、なるべく息を止める。仕方がない場合はマスクして腕で鼻を押さえつつ、浅く息をする。

それが香水や、流行りの香りの洗剤などの臭いだったりすると、腹が立ってしょうがない。

病院に香りものは禁物だ。本来なら化粧だって控え目にするべきだ。制汗剤も無香にして欲しい。

幸いにして閉所恐怖症ではないのだが、臭い問題により、エレベーターの緊急停止の可能性に戦々恐々とする。

入院したこともある、勝手知ったる病院だから、この程度で済んでいるのだ。知らない病院に行くなんて恐ろしい。

因みに入院していた時、検査や手術の時は車椅子かストレッチャーで移動していた。歩けるのだが、怖くて目を開けていられないので、仕方なくそうなった。音楽を聴きながら、目を固く閉じて、運ばれていた。

病院側としても、予測不可能な精神的な発作を起こされると、何かと不都合だったからだろう。快く手配してくれた。

今は内科、精神科、歯科と丸ごとその大学病院のお世話になっている。

実にありがたい。

 

今週のお題「わたしと乗り物」

 

 

自転車を愛した日々 / みなさん自転車のメンテナンスをしてください

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自転車のメンテナンスをしてください

先に言いたい。走っていてブレーキ握ると「キギィーーーッ」って音、していませんか。

聴覚過敏の私は、あの音に苦しんでいる。しかも、結構多いのだ。自転車をメンテナンスせずに乗っている人って。

自転車だってかわいそうだ。年に一度でいいから綺麗に磨いて、油をさして・・・面倒臭い?それじゃ町の自転車屋さんにメンテしてもらってください。せめてブレーキくらいはちゃんとしてちょーだいませませ。

古くなれば仕方がないと言う人がいるが、ちっとも仕方なくない。自転車だって車両ですぞ。ママチャリだって、ちゃんと管理してほしいのです。

 

はじめての自転車

私が自転車に初めて乗ったのは幼稚園の時だった。父は危険だからと猛反対だったが、母の「自転車にぐらい乗れなくては困る」という押しの一手で、青い自転車を買ってもらった。男の子用だったが、私は嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。

私の両親は崖から子供を突き落として、這い上がってこいと言うタイプだ。いや、突き落として「死にたくなかったら登ってこい」と言い捨てて立ち去るタイプだ。

だから、危険だと反対していた父親すら、私に自転車の乗り方を教えなかった。

私は一人で転びながら乗れるようになったのだ。補助輪は付いていたが、どうしてだか派手に転んだ。今と違ってヘルメットも膝当てもしない時代だったので、そりゃもう血みどろである。

でも、その自転車で公園へ行ったところ、男の子の集団にバカにされたのだ。「補助輪が付いている」と。

私は頭に来て、家へ戻った。

 

幼稚園児、自分で補助輪を外す

当時鍵っ子だったので、家へ帰っても両親ともいない。親が帰るまで待つという選択肢はなかった。だって、頭に来ちゃっていたのだ。憤りで鼻の穴は膨らんでいたと思う。

縁側へ行くと、いくつかの工具が放置されていたので、色々試して、なんとか補助輪を片方だけ外した。もちろん途中で挫折しそうになったが、悔しくて悔しくてジタバタして、取ってやった。

犬小屋の前だったが、私のただならぬ様子に警戒してか、犬に邪魔をされることはなかった。

片方を外して、少し乗ってみた。で、補助輪を浮かせて走行をしてみた。なんだか行けそうだった。勢いのまま家へ戻り、もう片方の補助輪も外した。

両方の補助輪を外せば当然転ぶ。転べば怪我をする。だが、運動神経が悪いくせに、私は怒りと悔しさで、とっとと乗れるようになった。安定して乗るまで、2日程度しかかからなかったと思う。

なんせ、両親が気づいた時には、スイスイ乗っていたので、勝手に補助輪を外したことについては怒られなかった。

 

スポチャリでスピードを測る

 

小学校五年生だったと思う。父親が子供用のスポチャリをどこからか貰ってきた。

私はそれに魅せられた。黒くて、ギアチェンジできて、スピードメーターもついていて、カッコ良かったのだ。

普段はママチャリに乗っていたが、友達と出かける時などは、スポチャリに乗るようになった。

で、スピードメーターがついているとなれば、何キロまで出せるか試したくなるのが人間の性。

当然、私は試した。最初はさほどスピードが出なかったが、段々と出るようになり、最終的には最大瞬間スピード時速40キロまで到達した。危険運転極まりない行為だ。

30キロ制限の道路だったが、スピード違反で罰金が科されるかどうかは知らない。

 

自転車のメンテナンスを教わる

ママチャリでもスピードを出すようになり、コーナリングでのドリフトで、パンクすることが増え、修理に何度も通うハメになった。

パンク修理1回500円は、子供にとっては高額だった。

ある時一週間と開けずして、自転車屋さんに行ったところ、店のおじさんが「修理道具パック」500円のを買えと言ってきた。で、無料でパンク修理の仕方を教えてくれたのだ。

自転車屋さん、ありがとう、さようなら。

ここから私の自転車愛が深まった。

パンク修理をすると、自転車の色んな汚れやサビが気になった。父親に言ってみると「コンパウンド」を出してくれた。ブレーキ音のことを相談すると「油差し」を出してくれた。

そうして私は車に乗るようになるまで、年末は必ず自転車をピカピカに磨き上げる儀式を行い続けた。母親は怒っていたが、ガン無視して磨き続けた。

 

私が自転車好きになったのは、生まれつき股関節亜脱臼でまっすぐ歩くことも、速く走ることも困難だったからだろう。足が曲がっているので走ると膝にも腰にも負担がかかった。

でも、自転車だったら男の子たちにも負けないくらい速く走れた。

それはもう、カ・イ・カ・ン。

 

愛しの韋駄天スターレット / 意外と思われるが乗り物を運転したいタイプ

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車好きなのに乗り物酔い体質

子供の頃から乗り物酔いが酷かった。電車でも酔うほどで、遠足がバスだったりすると、酔い止めを飲んでも往復で吐く。

だが、乗り物が好きだった。乗るのは嫌だが、形が好きだったので、車のおもちゃなどでは随分と遊んだ。

一番好きだったのはミキサー車で、動かすと回るのが楽しかった。本当はミニカーも欲しかったが、言い出せずにいた。

スーパーカーブームの時は小学生で、カウンタックに惚れた。子供なので、ガルウィングの派手さに惹かれたのだと思う。

スーパーカーの形の消しゴムを、BOXYのボールペンで飛ばし合いする遊びが流行ったが、男の子たちは私を仲間に入れてはくれなかった。

当時の男の子たちはハッキリと「女はあっち行ってろ」とエラソーに言ったものだ。男子が入れてくれないと女子の遊びに付き合えない私は、一人になるので、楽しそうな男子を横目で見ながら本を読むしかなかった。

私が一個だけ持っていた「カー消し(スーパーカー消しゴム)」は、確かGTRだったと思う。でもGTRはスポーツカーだよな。スーパーカーじゃないよな。記憶違いかしら。

 

白の韋駄天スターレット

二十歳くらいの頃、私の過眠症の症状はなりを潜めていた。で、私は車の販売店の修理工場で事務をすることになるのだが、体力や腕力があれば、修理工になっていたことだろう。

私の愛車は「韋駄天」と言われた四角いフォルムの、白のスターレットだった。マニュアル車が欲しかったのだが、親にも上司にも猛反対されて、仕方なくオートマに乗っていた。

車体の重さに対して馬力が過剰で、ターボでのスタートダッシュが素晴らしく速かった。だが、オートマなので、コーナリングや下り坂でスピードを落としづらく、何度か田んぼに転がりそうになった。

元々人混みが苦手なので、車を自分で運転できることで、私の行動範囲は広がった。とはいえ、体力がないので一日500km程度しか走れなかったが。

愛しのスターレットとは、東京に転居する時にお別れした。だって、駐車場代がアパートかよっていうお値段だったのだ。月に4万円。無理だった。

それによって私の行動範囲は、一気に狭くなった。会社と家を往復するだけ。時折喫茶店や本屋に立ち寄るくらい。

車を所有できるくらいの収入を得た頃には、ダイビングにハマり、そちらでお金が必要だったので、結局、スターレットが私の最後の車となった。

 

今、理想の車はJeepの角ばったヤツ

過眠症の症状が重くなったし、いろんな薬を飲んでいるから、もう運転をすることはないだろう。ツレは車が大嫌いだから、仮に我が家に車が来ることがあっても、それはコスパ重視の車に違いない。

まあ私も今更スピードの出る車が欲しいとは思わない。ただ、SUVの四駆には憧れている。 最近はあまり流行らないが、四角いのがいい。カクカクしている車が好き。ぶっといタイヤで、いかついのが好みだ。

ま、万が一、私の車に対する要望が通ることがあっても、中古のパジェロミニがせいぜいだろう。あれはあれでカラーリングによっては可愛いんだが、厳つさが足りない。

何も考えずに外見だけで決めるなら、Jeepの「Wrangler Unlimited Rubicon」が惚れ惚れするほどカッコいい。渋目のオリーブグリーンに塗り替えたら、めちゃくちゃカッコいいと思うけど。軍用車っぽくなりすぎるかしら。ツレは全力で嫌がるだろうな。

軍用関係の車両が好きだ。カラーリングと重厚感がたまらない。でもゲームですら戦う系のものは嫌い。要は、メカとして見た目が好きなだけなのだ。

華奢でパーツが無駄に多そうなガンダムより、シャア専用ザク

そういうことなのだ。なのだが、女子にはわかってもらえない悲しみ。

 

 

 

今週のお題「わたしと乗り物」

引っ越したら水が飲めなくなった件

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ド田舎から首都圏へ引っ越す

私がど田舎で育ったことは幾度となく書いた気がする。正確には7歳まで、ど田舎暮らしだった。しかも6歳まで(かな?)元酒蔵の井戸水で育ったのだ。

首都圏に出てきて真っ先に困ったのが「水」だった。首都圏と言っても東京ではない。それでも水道水が飲めなかった。お茶にしないと飲めなかった。麦茶も、水出しでは飲めなかった。

野菜もあまり美味しくなくて、菜食主義に近かった私は辛かった。

環境があまりにも違うため、私は2ヶ月ほど学校へ行かなかった。都会に慣れるためには、それくらいの日数を要したのだ。新しい家は県道沿いにあって、騒音が酷かった。片側一車線だったが、トラックがよく通る道で、私は耳鳴りがするようになった。

その県道を渡ることが私にはできなかった。信号がなかったので、右を見て左を見て右を見ると、必ず車が来る。何度も練習して、目の前のパン屋に行けるまで、数ヶ月かかった。

 

ピンチ!小学校の水道水が飲めない

私が小学校へ通い始めたのは、夏に引っ越したのに、10月も半ばになっていた。

建物は大きいし、靴箱は沢山あるし、生徒の数も多くて、私はいつも困っていた。何と言っても水が飲めないのには参った。私は牛乳も飲めなかったので、一日中水分を取れない日が続いた。

ある時、暑い日に体育があって、死にそうなほどカラカラになり、そこでやっと飲むことができた。それでも、必要に迫られないと多少の渇きでは、水のニオイも味も苦痛で飲み込めなかった。だから熱に頭痛にめまいにと、大変だった。

 

いまだに沸かさないと飲めない水道水

今でも東京の水道水は飲めない。建物にもよるのだが、浄水器を通せば飲める場合もある。今住んでいるアパートの水は、浄水器を通してもウガイをするのが精一杯。沸かさないと飲めない。浄水器がなければ、うがいもできない。無理して飲んでも吐いちゃうから、どうにもならない。もちろん、死にそうになれば飲めるんだろうけど。

それでも、浄水器を通した水で洗った野菜を食べられるので、都会に慣れてはきたのだと思う。何十年もかかったが。

ミネラルウォーターが随分と安くなったが、それでも月に4、5千円かかっていると思う。必要経費なので、カウントしないようにしているが、何となくわかっているので、時折節約したくなる。

医療費がかかったら元も子もないので、ガブガブ飲むようにしているが、ちょっと気になってしまう。

贅沢ものではない。田舎者なだけだ。ふんっ。

 

 

今週のお題「人生最大の危機」

他人様の詩が眩しすぎる件

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詩のブログの表示で妥協する

詩だけをupしているブログのお引越しをした。二度目である。

詩に関しては、なるべくルビを振るようにしている。指定しないとリズムが狂うし、別の読み方ができると印象が変わるからだ。文字は明朝体にしたい。本当なら縦書きが良い。下手くそだが、それなりにこだわりがある。

このルビを振るのが、ウェブ上では難しい。はてな用にルビを振るツール無料配布されていて、使い勝手は良い。だが、漢字1文字に4文字のルビを振ると、本文の文字が不自然にデコボコしてしまう。ルビの2文字目と3文字目の下に漢字が入ってしまうのだ。文頭の場合は漢字が右に引っ込んで、段落みたいに見えてしまう。

その点は文芸に特化されたカクヨムがいいのだが、画像を入れられないのと、ブログと違ってグループ機能がないので、読者開拓が難しい。

はてなも縦書きテーマがあるので、それだとルビ問題が解決するかもしれない。だが、スマホで読む人のことや、横書きに慣れている世代のことを考えた。で、縦書きのこだわりも、ルビでの表示崩れも諦めた方が良いという結論に達した。

 

他人様の詩がまばゆい

6月に詩をとある詩人会へ投稿したのだが、見事に滑ったようだ。カスリもしなかったと言える。日常にふと引っかかったものを、サラリとしているがインパクトはあるように書いたものが良いようだ。真逆なものを送ってしまったし、入選作を読むと、私なぞは御呼びでないと言われた気がした。ハードルは高い。

あまりにも高いハードルは、諦めたくなる。今、諦めようとしている所だ。他人様の詩を読むと、自分の下手くそさに嫌気がさす。それでもツイッターでの詩作は続けていく。フリースタイルは大好きだが、ルーティンをやらないと落ち着かないタイプなのだ。とりあえずルーティンさえやっておけば、安心する。ツイートを続けながら、どうするか考えよう。

自信家でもないけれど、自己嫌悪に陥りやすいタイプでもない。ミスをしてもすぐに立ち直るし、カラカラと笑っちゃえなノリもある。

でも自分が全力で書いて、他人様のを全力で読むと、さすがに「あたし、結構イケてるじゃーん」とはならない。高い場所を見せられると、遠すぎることを認知する。

かといって、具体的に何をしたら良いものが書けるかなんて、誰にもわかりゃしない。マシなものを書けるようになる方法はあるのだろうが、そこは目指したいところではない。

結局、書きまくって、語彙を増やして、あとは野となれ山となれ、っきゃない。

うん。それっきゃないな。テレビでも観て、気分を変えようっと。だからお前はダメなんだと声がするが、空耳だろう。そうだ、そうだ。

 

 

今週のお題「人生最大の危機」